照ノ富士ってどんな人なの?
プロフィールをご紹介!

決めたら即行動の照ノ富士さんは、2009年に鳥取城北高校に編入し、2010年に間垣部屋の門を叩き力士としての人生をスタートします。順調に練習を重ね、2011年でデビュー戦となる初土俵を踏みます。
以後も順調に駒を進め、2013年には新十両へ、2014年には幕下として昇進を果たします。
2013年に所属していた間垣部屋がなくなり、伊勢ケ浜部屋に移籍した際に、元々は若三勝というしこ名を変更し、今の「照ノ富士」というしこ名が誕生しました。
イケイケな相撲人生だった!
2013年に新十両として迎えた、九月場所で十両優勝をいきなり成し遂げ、2014年には三月場所で新入幕を果たします。勢いは止まる事なく、2015年の一月場所においては、人生で初の敢闘賞を受賞し、続いて2015年の三月場所では小結を飛ばし関脇までのスピード昇進をやっちゃいます。関脇まで昇進したこの場所の成績は13勝2敗と文句なしで、殊勲賞と敢闘賞のダブル受賞。続いて2015年の五月場所でも幕内優勝の結果を出し、これも文句なしの結果で大関昇進まで一気に駆け上がっていきました。
しかし、192cmの体から繰り出す相撲は知らず知らずの内に体へ大きな負担を与えており、体に異変が起こります。両膝や肘を痛め怪我に悩まされ、追い討ちをかけるように糖尿病や肝炎も発症し急転直下!自分の相撲を取ることができず、幕下・十両と番付をどんどん下げていきます。
関係者からも、同じ人間かと思うほどの落ち込みようで、照ノ富士からは「俺、もう無理っすかね!」。と完全に自信を失ってしまう程だったようです。
辛酸を舐めつつ、苦しい経験を得て2年半ぶりに復帰し優勝とゆう結果で完全復活を見事に果たし、感動のドラマが誕生したんですね。
照ノ富士の人柄や魅力
信念と努力の人だった!

イタンビューで最初に発した言葉が!
「続けてきてよかったなと思っています!」
人生にはいい時もあれば、悪い時もあると思います。スポーツの世界は特に評価するスピードは早く、結果を出していれば周りは必要以上にチヤホヤしてくれていい気持ちなれるかもしれませんが、勝てなくなった時もダメなレッテルを貼られ時には悪の扱いを受けてしまう本当に厳しい世界です。
照ノ富士は、諦めずに土俵に戻れる事を信じトレーニングは欠かさずに行っていたと話しています。言葉ではあっさりと言っていますが、本当に孤独な戦いであった事は容易に想像がつきますね。
「いろんなことがありましたけど、最後にこうやって笑える日が来ると思って信じてやってきたので、一生懸命やればいいことがあると思っています」
結果を出したから心に響くメッセージとも受け取れますが、過去の辛かった経験があるからこそ照ノ富士自信が自分にも言い聞かせてきた言葉ではないのかなと思います。
28歳という若さで日本の頂点に立つ事は容易ではなく、健康であったとしても並大抵の努力ではなかった事は想像できますね。
「落ちていたときも応援してくれる方々、家族や部屋のみんな、おかみさん、支えてくれる人がいたから、恩返ししなきゃと思った」
最後には周囲の人達の支えがあった事や感謝の思いを言葉にしています。色々な視点があると思いますが、伊勢ケ浜部屋のみんなで掴んだ優勝でもあり沢山の人に勇気と感動与えた2020年の7月場所となりました。
まとめ
しこ名は照ノ富士 春雄(てるのふじ はるお)本名はガントルガ・ガンエルデネさんです。生年月日:平成3年11月29日生 28歳身長:192cm 体重:180kg 番付:前頭17枚目
→イケイケな相撲人生だった!
2011年 初土俵→2013年 新十両→
2014年 新入幕→2015年 新三役→
2015年 大関昇進→2020年 前頭17枚目
・照ノ富士の人柄や魅力
→信念と努力の人だった!
照ノ富士関の壮絶な人生をご紹介しました。人としても大きく成長を遂げ、相撲界の期待を背負い、今後は横綱を目指し更に相撲界を盛り上げてくれる事を期待していきいと思います。
コメントを残す