菅内閣総理大臣ってどんな人なの?ブロフィールまとめてみた

2020年9月16日、菅 義偉(すが よしひで)氏が第99代総理大臣に任命され
菅内閣が発足しました。

歴代最長の在任期間を誇った前総理の安倍 晋三(あべ しんぞう)氏ですが
持病の悪化にともなう健康面での理由で、任期を満了する前に辞任したため、
官房長官であった菅氏が、そのままスライドしたような印象をもたれる方も
多いのではないでしょうか。

今回は、菅総理の生まれから、これまでをまとめてみました。

官房長官時代は、影での仕事に徹していたため、地味なイメージの菅氏ですが、
調べてみると、それだけではない意外な面が多く見られました。

今後の政治を占う。それ以上の興味をひかれること、間違いなしという人物です。

菅義久 生まれから、これまで

1.秋田のイチゴ農家に生まれ、夢志し上京

菅義久氏は、1948年に秋田県雄勝郡秋ノ宮村(現・湯沢市秋ノ宮)のイチゴ農家の長男
として、生まれました。父親の菅和三郎氏は、満州鉄道の職員でしたが、敗戦後に引き上げ
故郷の秋ノ宮に戻り、そこでイチゴ農業を始めたそうです。

菅氏には、お姉さんが二人いて、どちらも教職についていました。周りから姉二人と
同じく、教職につくのかと思われましたが、本人は「それだけは嫌だった」とのこと。
父からは農業大学への進学も進められましたが、それも断り、高校卒業後に上京します。

「東京にいけば何かが変わる」と夢をもっての行動でしたが、秋田と変わらぬ日々を過ごし、
現実の厳しさに直面したといいます。そして、務めていたダンボール工場を2ヶ月で退職して
しまいます。

なんだかこの部分は、今も昔も変わらぬ若者の青春という感じがしますね。
それが将来の政治家になる人物のものだというと、やはり意外な印象を受けます。

その後は、大学進学を志し、2年のアルバイト生活を経て法政大学法政学部政治科へと進学
します。ただ、ここを選んだ理由も「授業料が最も安かった」からだそうです。

大学進学後、アルバイトで生活費と学費を稼ぐ一方、大学の空手部に4年間所属し、三段の
段位を取得しています。そして、1973年に大学を卒業し、電気設備の会社へと就職します。

菅氏の学生時代は、紆余曲折の連続だったのがわかりますね。ですが、大学で空手部で
段位を取得するまで学んだことは、大きな影響だったらしく「人生の修行はやった気がする」
と述べています。

2.政治の世界へ 横浜市議会議員時代

1975年。「本当に自分のやりたい事」を追求した結果、菅青年は政治の世界へと
足を踏み入れました。

そして、大学のOBや就職課の伝で、衆議院議員の小此木 彦三郎(おこのぎ ひこさぶろう)
の秘書となり、その後11年に渡り秘書を務め、1983年小此木氏が通算産業大臣に就任すると、
大臣秘書官を務めました。

1987年に、神奈川県の横浜市議会議員選挙へ出馬します。
このとき、自民党には大ベテランの議員がいましたが、息子に後を譲り
自分は引退すると発表していました。

しかし、直後に息子が急死してしまいます。

菅氏はこれをチャンスとみましたが、その後ベテラン議員が引退を取り消し
再び出馬することになります。
自民党内から、出馬を取り消すよう菅氏は言われますが、それを受け入れなかった
ため、公認がもらえず厳しい選挙戦となりました。

選挙活動では、朝6時から夜の9時まで1日300件、選挙まで3万件を周り、六足も靴を
履きつぶしたといいます。

その努力が実り、市議会議員に当選し、その後2期務めます。
この時代、当選回数2回という少なさにも関わらず、小此木氏の事実上の代役として
秘書時代に培った財政管の人脈を活かして辣腕を振るったといいます。
時には、市長から人事案の相談を受けるなど「影の横浜市長」と呼ばれていました。

この時代の苦労と実績が、菅 義久という政治家の土台になっているのでは
ないでしょうか。そしていよいよ国政へ目を向けていきます。

3.衆議院議員へ

1996年の、衆議院議員総選挙で自民党公認で出馬し、初当選を果たします。
その後はいくつかの派閥を加入、脱退を経ながら、副総務大臣、総務大臣と
重要な役職についていきます。

2006年には、「再チャレンジ支援議員連盟」を立ち上げ、第一次安倍内閣の成立の
原動力にもなりました。

その後、自民党が民主党に破れ、野党となりますが、その間も、国会対策副委員長など
の役職に付き、与党返り咲きの下地を作っていきました。

4.内閣官房長官時代「令和おじさん」

2012年。第二次安倍内閣の発足とともに、官房長官へと任命されます。
この官房長官時代から、菅氏は改革者としての顔が伺えます。

2013年に起きたアルジェリア人質事件では、前例のない政府専用機の
派遣を行ったり、局長人事を主導し、官僚を統制下に置き、高い情報収集
能力を持つようになったりもしました。

そして、2019年に新しい元号「令和」を発表したことにより、「令和おじさん」
としてその顔が国民にも知れ渡るようになります。

5.そして総理大臣へ

前述のとおり、2020年に菅氏は総理大臣へと任命されました。
既に今の時点で、携帯料金の値下げや不妊治療への保険適用など、
大胆な改革案が出されています。

これまでの経歴を見てもわかるように、菅氏は改革者としての一面が
強く、自身の意見を貫き通す所があり、今後の様々な改革案が出て
来るのではないかと考えられます。

まとめ

世襲議員が多くなりがちな日本の政治において、菅氏は、まさに「叩き上げ」
と呼ぶにふさわしい人物でしょう。

しかし、本人は「目立つのは好きではない」と発言していて、
経歴を見てもナンバー2として影で支える事が多く、トップとして
の実力はまだ未知数な部分もあります。

前任の安倍総理の路線を引き継ぐと見られていますが、それだけに
とどまらないパワーを菅氏は持っているように思えます。

それが今後の日本にどう影響するのか。注目に値する総理大臣に
なることは間違いないでしょう。

 

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