大坂なおみの強さの秘密は?経歴まとめてみた

先日、テニスの全米オープンで、大坂なおみが女子シングルスで
2年ぶりの優勝を果たしたとの報道がありました。

コロナ禍でスポーツイベントがいまひとつ盛り上がりがない中、
ひさしぶりに大きなニュースです。。

大坂なおみといえば、日本で生まれ、アメリカで育ったことから
二重国籍で、国籍の選択のときは
「長年過ごし、何かと便利なアメリカの国籍を選択するだろう」
と多くのメディアが予想していました。

しかし、予想に反して2019年に日本国籍を選択したことで日本でも大きく
話題になりました。

現在、世界ランキング3位で、過去にも次々と快挙を達成していた
彼女は、いったいどのような道を歩んできたのでしょうか。

今回は、大坂なおみの経歴と、強さの秘密に迫ってみようと
思います。

大坂なおみのこれまで

1.大阪で初めてのテニス

大阪なおみは、1997年(平成9年)に大阪府大阪市で生まれました。

父親のレオナルド・フランソワさんは、ハイチ系アメリカ人で
大阪で英語の講師をしていて、関西弁を話す講師として大変人気だった
といいます。

母親の大坂環さんは、もともとは北海道の出身で、交際をきっかけに
大阪に移り住んだそうです。

テニスを始めたのは3歳のとき、父と姉の大坂まりの影響でした。

当時はテニススクールなどには通わず、テニス経験のない父の教えの下、
近所の靭(うつぼ)テニスセンター等で練習していたといいます。

なんでもテニスを始めたきっかけは、父親が1999年全仏オープン女子ダブルスで優勝した
ビーナス・セリーナのウィリアムズ姉妹をみたから(!?)だそうです。

このとき、まさか大坂なおみと姉のまりが、二人とも世界的なプロテニスプレイヤー
になるとは夢にも思わなかったのではないでしょうか。

2.アメリカへの移住

2001年に、大坂一家は、アメリカ合衆国へと移住します。移り住んだのは、父方の
祖父母がいるニューヨーク州ロングアイランドのエルモントでした。

このとき、大坂なおみは4歳だったので、日本での就学経験はなかったことに
なります。
後々に、日本国籍を選択し、日本人選手として活躍することを考えると、
やっぱり意外な感じがしてしまいますね。

移り住んだ地で、大坂姉妹は、全米オープンの会場でもあるナショナル・テニス・センター
などで、毎日6時間近く(!)練習していたといいます。

もしかしたら、この頃から姉妹は才能の片鱗を見せ始めていて、周りもその才能に
真剣に向き合い始めたのかもしれません。

その後、2006年フロリダ州に移住し、ペンプロークパインズの公共コートで練習しました。
2007年に全国共通公園テニス協会選手権で、姉の大坂まりとのペアで、14歳以下女子ダブルス
で優勝しました。また、14歳以下のフロリダ選抜にも選ばれました。

3.プロ転向 次々と大会へと出場

プロツアー出場資格が得られる14歳になった大坂なおみは、2011年10月に
ITFサーキット「モンテゴ・ペイ大会」でデビューします。以降は厳しい環境
を求めてジュニアの大会には参加せず、ツアー下部大会へ出場を続けます。

2013年6月にITFサーキットエルパソでサナズ・マランドに敗れましたが
準優勝を果たします。そして、その年の9月にプロへと正式に転向しました。

その後、大坂なおみは、強みのサーブを活かし、次々に大会に出場していきます。
そして2016年、4大大会「グランドスラム」へと初出場、3回戦まで進出します。
これは、日本女子としては小幡陽子以来52年ぶりの快挙となり、話題になります。

それからもいくつもの大会で結果を残し、ついに2016年に全豪オープンで
ペトラ・クビトバに勝利、初優勝。そして、世界ランキングで男女通じて
初めてのアジア人1位となるのです。

4.強さの秘密

大坂なおみの強さとして、まず挙げられるのがパワフルなサーブでしょう。
最速の記録は歴代10位の201km/h(120マイル)で、さらに様々なスピンサーブも
打て、緩急をつけることができます。

しかし、それだけではなく、コーチのサーシャ・バインの肉体改造による
バックハンドの威力向上や精神的な成長もみることができます。

特に精神的成長は顕著で、かつては試合中にリズムを崩し、自滅してしまうことも
ありましたが、アンガーマネジメント、怒りの感情とうまく付き合う方法を会得した
ようで、試合にもセルフトークで自分を落ち着かせている様子が見られました。

まさしく、大坂なおみの強さは「心・技・体」が揃ったものなのでしょう。

まとめ

大阪で生まれ、アメリカでテニスの才能を開花させた、大坂なおみ。
近年は調子を落としがちという報道もありましたが、全米オープンでの
優勝は、復活の兆しかもしれません。

なにより、2021年には延期された東京オリンピックがあります。
「東京オリンピックに日本人選手として出場」を願っていた大坂なおみ
にとって、待ちわびていた大会で、きっとそれに向けてコンディションや
気持ちも高まっていくことでしょう。

大坂なおみの活躍は、まさに今注目する時なのかもしれません。

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